ゾウのメッセージ

前に進むことは難しいことではない。

ただ、足を前に出し続けるだけの事だ。

 

人間は、難しく考えすぎる。

どんなに考えたって、物事は大きくは変わらない。

今できることをしたらいい。

 

出来ることなんて、限られているだろう❔

大事なのは、ちゃんと意識する事だ。

 

自分の足を意識しろ。

地面を踏みしめる感覚をちゃんと味わうことだ。

地に足をつけて、現実を生きることだ。

 

妄想の中に逃げ込んではいけない。

周りのせいにしてはいけない。

自分の体を運ぶのは、自分自身の足なのだ。

 

遠くに行きたいのなら、

まずは歩き出さないといけない。

 

ちょっとずつでも歩けば、

時間がたってみると、いつのまにか寝て遠くに来ているものだ。

焦る必要はない。

時間は必要とするだけあるものだから。

 

似たようなものばかり提供されるね

子どものころ、両親に自分の好みを決めつけられて、

イラっとしたことありませんか?

 

気が付くと、

似たようなものばかり提供されて、

嫌いではないけど、

なんかつまらないというあの感じ、

わかるでしょうか?

 

最近、この感覚に近いものを、

ネット検索で感じることがよくあります。

 

過去の検索情報を元にして、

興味がありそうなものを提供してくれるのですが、

同じようなものばかりずらっと並べられると、

おなか一杯というか、

なんだかつまらない。

 

youtubeなどを見ていても、

もっといろんなジャンルがあるはずなのに、

同じようなものばかりがトップページに並んでいて、

面白くないなあと感じています。

 

好みではなくても、

意外な発見があるものとか、

知らなかった分野とか、

意外なものを見つけにくくなっている気がします。

 

ネットは便利ですが、

探すのが面倒です。

 

だからこそ、ついつい提供されているリンクを頼ってしまうのですが、

もっと違った使い方をしないと、

どんどんつまらなくなっていきそうです。

 

偶然から手に入る情報を見つけるには、

もっと工夫が必要なのかもしれませんね。

 

経験は私たちを助けてくれるよ

私たちは、いろんなことを体験するために生まれてきました。

だから、楽しいことも、苦しいことも、

いろんなことを体験しては、

たくさんの感情や経験値を魂に刻み付けていきます。

 

生活していく上では、

いいことも悪いことも起きますが、

それはどちらも必要で、

後々になって、過去の体験が生きてくることはよくあります。

 

昔、私がまだ先生をしていたころ、

生徒さんたちは、

自分の興味の範囲内のことしかしたがりませんでした。

 

彼らはまだ知らなかったのです。

応用力は、幅広い経験から来るのだという事を。

失敗したことや嫌なことが、

後でどれほど自分を助けてくれるのかを。

 

無駄だと思える体験が、

後でどんなに役に立つか、

今の私にはわかりますが、

当時の私には、うまく伝えられませんでした。

 

今の社会は、やり直しをなかなか許してくれませんが、

そんな風だと、

若い人たちはどんどんと委縮して、

社会そのものが固く硬直した、

身動きしづらいものになってしまいそうな気がします。

 

そんな中で起きたコロナの風。

大きく価値観が変わるチャンスでもあります。

 

これからは、引きこもりが活躍する時代なのかもしれません。

マニアックな知識を豊富に持っているオタクたちが、

日本を、世界を底上げしてくれる時代が、

もう来ているといえるかもしれませんね。

息苦しい時代を打ち壊したいよね

コロナが世界中に蔓延して、

唐突に生活が変わってしまいました。

 

花粉症の季節の日本のように、

世界中の人がマスクをして歩いている光景が、

普通になっています。

 

国際ニュースで、

どの国を映しても、

だれもがマスクをしているというのは、

今までなかったことですよね。

 

外出禁止で、

リモートワークが必要になって、

急にPC人口が増えました。

人が移動しなくても、

コミュニケーションをとることが、

通信技術によって可能だからです。

 

zoom会議が一般的になって、

価値観も大きく変わっています。

時代が変わるときは、

本当に一気ですね。

 

こんなに早く変わるなんて驚きだし、

それに普通に適応している自分たちにも驚きです。

 

コロナは肺炎を引き起こします。

これも、時代を象徴しているような気がします。

 

いろんな意味で、

息苦しい世界に、

私たちは生きているのだという事なのです。

 

もっと自分らしく生きてもいいんじゃない?

もっと息ができる世界を作ってもいいんじゃない?

 

宇宙にそういわれているような気さえしてきます。

 

閉塞感がある時代の空気を壊すために、

肺炎を引き起こすウィルスが蔓延するという形で、

私たちの行動を変えるように促されているのかもしれません。

 

私たちは、息ができる世界を、

自分たちの意思で選択する時期が来ているのだと思うのです。

やりなおしはできるよ、きっと

三浦春馬さん、竹内結子さんと、

立て続けに有名な俳優さんが自殺されました。

若い人の自殺は心が痛みます。

しかも、結構多いですよね。

 

自殺の原因はわかりませんが、

もしかすると、うつ状態だったのかもしれません。

それだけ、息苦しい国になってしまっているのかなあなどと、

勝手に思っています。

 

日本は、比較的、

やり直しが難しい国であるような気がします。

 

失敗をした時、

それも一つの経験だと開き直れてしまえば、

やり直す方法はいくらでも方法はあります。

 

でも、今どきの若者たちは特に、

正解を求めようとしたり、

失敗したくないと臆病になったりしがちだと聞きます。

失敗したら終わりだと思ってしまうのです。

 

それで追い詰められて、

死んでしまうのだとしたら、

本末転倒というか、

残念ですよね。

 

本当は、

自殺することがもっとも大きな失敗です。

生きてさえいれば、

どうにかなるのです。

 

もっと図々しく、

もっとわがままに生きることが出来れば、

自ら死を選ばなくてはならないというようなことには、

ならないのではないでしょうか。

 

おそらく、優しすぎて、

自分より周りの人を優先した結果、

追い詰められてしまうと思うのです。

 

常識なんて、ローカルルールにすぎないし、

時がたてば変わるものです。

非常識だと言われてなんぼと、堂々としていればいい。

 

 

匿名の非難は無視すればいい。

匿名で人を非難する人って、

何を考えているんでしょうね。

よっぽど不幸な日常を送っているとしか思えない。

普段、言いたいことを言えないから、

ここぞとばかりに攻撃するのですよね。

しかも、意外といい加減な言いがかりだったりするようです。

非難するなら、ちゃんと調べてからすればいいのに。

 

そういった嫌がらせをする人って、

普通のおとなしい人が多いらしいので、

その人たちもある意味、

もっと開き直る必要があるのだと思います。

 

ちなみに、メンタリストのDaigoさんは、

コメントやメッセージを一切見ないそうです。

「時間の無駄だから」と。

そこまで徹底できたら楽になれそうです。

 

キンキー・ブーツ見たかったなあ

何気なくyoutubeを流していたら、

いつの間にか、画面でミュージカルの一部が、

にぎやかに表示されていた。

画面では、ハイヒールを履いたドラァグクイーンと、

靴屋の青年が歌って踊っている。

「キンキー・ブーツ」だ。

 

背の高い、美しいドラァグクイーン三浦春馬さんで、

靴屋の青年は小池徹平さんだ。

 

面白かった。

素敵な舞台だ。

ちゃんと最初から最後まで、

劇場で見たかったと思った。

 

三浦春馬さん演じるドラァグクイーンのローラは、

常識とか規則とかを飛び越えて、

好きなものや美しいものを選択するのだと高らかに歌う。

快適さなんてくそくらえ。

美しくセクシーにと、

真っ赤なハイヒールブーツを靴屋の青年に作らせ、

さらに彼に履かせるのだ。

 

三浦春馬さんはうまかった。

演技も、歌も、ダンスも素晴らしかった。

 

ただ、しばらく見ているうちに、

この人は自分が出ていないなと思った。

一生懸命だけれど、感情が伝わってこない。

なんだかものすごく遠くにいる人みたいだ。

 

だから、どうしても、

靴屋のチャーリーに目が行く。

小池徹平さんは、かなりヤバいやつだ。

すべてをさらけ出して、板の上に立っている。

テレビで見るのとは違う、

いい役者がそこにいた。

 

せっかくローラの役をやったのに、

自ら死ななければならなかった三浦春馬さんは、

なんだか悲しいなと思った。

はじけることが出来なかったのだから。

 

「もしも」をいくら言ったところで意味はないのだが、

もしも、三浦春馬さんがもっと生きていることが出来たなら、

本当にいい役者になれただろう。

 

家族のことで悩み、

仕事のことで悩み、

人よりもたくさん傷ついた分だけ、

表現力は凄みを増していく。

 

心の中の暗闇を吐き出すことが出来たなら、

彼は、一目見たら忘れられない、

唯一無二の役者として、

より多くの人に愛される存在となれただろうに。

惜しいなと思う。

好きなことをやってもいいのかな?

好きなこと、得意なことをやるといいですよ、というと、

必ず、こういう風に言う人がいます。

「世の中はそんなに甘くない」

 

ストイックに努力し続けることは美しいですが、

よく考えてみてください。

そういう人が好きなスポコン物でみる主人公たちの姿は、

必ず、そのスポーツが好きで、得意な人が、

死ぬほど努力している姿だという事を。

 

そうです。

成功するためには、

好きなことでないと無理なのです。

 

なぜなら、続かないからです。

 

どんなに頑張ったところで、

好きでないことは続けられないのです。

 

それでも頑張ろうとして、

挫折していく人を、私はたくさん見てきました。

 

親の期待に応えたくて、

大学を5浪、6浪する人などは典型ですね。

 

人には向き不向きがありますし、

好みもそれぞれです。

もちろん、親兄弟といえども、

全く違う人間ですから、

適性も好みも違って当たり前なのです。

 

やりたいことが、お金にならない事ならば、

出来ることをやって、お金を調達しながら、

やりたいことでできることを少しずつやるのです。

 

そのうち、そのやりたいことが、

お金を呼んでくる時がくるかもしれません。

 

いずれにせよ、

まずは、少しでも好きなことに着手することです。

不得意なことに時間を使いすぎてはいけません。

苦手分野は、得意な人に任せましょう。

かならず、そういう人がいるはずですから。